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『悼む人』 天童荒太(文春文庫) [書評]

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先日、会社の先輩(同僚?)と軽く飲みに行った際に、珍しく読書の話となった。彼は、会社が移転したことに伴い、小一時間の電車通勤の間に本を読んでいるという。

以前、話した時に、彼の好きな作家が宮本輝であるということは知っていた。
そんな彼が、電車の中で思わず落涙しそうになったという、天童荒太の「悼む人」という作品を勧めてくれた。

彼の作品は正直読んだことがない。代表作「永遠の仔」しかり、そして単行本を購入したのに少し読んだだけでやめてしまったのが「あふれる愛」

今、読めばひょっとすると心に入ってくるものがあるのかもしれない。
でも、当時はどろどろとしたものを感じて、読む気にならなかった。

そんな僕の天童荒太感であるが、せっかく勧められことだし、ためしに読んでみようかと思った。
日曜日が雨の予報ということもあり、どこかへ出かける気にもならず、午後を読書に費やそうと思ったせいもある。


この世の中、いろんな場所で、いろんな人が、いろんな事情で亡くなっている。「悼む人」は、その人たちが亡くなった場所を探し求め、周囲の人たちに亡くなった人が「誰を愛し、誰に愛され、誰に感謝されたか?」ということを聞き、それをもとに彼ら、彼女らのことを心に刻み、亡くなった人を「悼む」という青年の行為を中心に話が進んでいく。

話のあらすじなどは本を読んでいただくとして。


読み終えた後、率直に思ったことは・・・。

自分がもし、この世の中からいなくなった時に、誰が自分のことを思い続けてくれるだろうということだった。

家庭のある人でも、せいぜい子から孫に語り継がれることがあっても、その後の世代には忘れられてしまうと思う。自分がそのような性格であるからそう思うのかもしれないが・・・、おそらく実生活で触れ合ったことのある世代までしか思い続けてくれないのではないだろうか?

では、家庭のない人間はどうだろう?その者と触れ合ったことがある人々も、普段はその者と縁のないところで生活している。人間にとって、一番大切に思うのは今触れ合っている人だと思う。

とどのつまり、自分の生活にいつも関わりのない人間のことは、せいぜい、一年くらいしか覚えていてもらえないのではないだろうか?


「悼む人」も最初のうちは、亡くなった人のいろいろな事を思い続けようとした。ところが、人間の記憶の容量には限りがある。また、全ての人が善人であるわけでもない。彼はそれを自分のエゴだと言っているが、全ての人を悼もうと考えた時に不都合なことを削いでいった結果、行き着いたのが前述の「誰を愛し、誰に愛され、誰に感謝されたか」ということだった。

ひょっとすると、この三つこそが、亡くなった人を思い続けることのできる要素なのかもしれない。

幸いなことに、今のところ自分が少しでも大切に思ったことのある人は、祖母を除いて、みな生きている。(いや、すでに忘却してしまった人もいるかもしれないが・・・)


祖母は確かに僕ら孫をかわいがってくれていた。

祖母が当時同居していた叔父の娘さん(従姉妹)が結婚することが決まり、会社が終わってからバイクを飛ばし、お祝いの品を届けたことがある。
午後8時、いや、もう少し遅い時間だったかもしれない。

祖母はすでに寝ていたのに、僕が来たことを聞いて、「よう来たな、よう来たな」と、寝巻き姿のまま、とんで起きてきてくれた。

その時の様子は、ずっと昨日のことのように記憶に刻まれている。


作者がどのような意図で、この小説を書かれたのかは一度読んだくらいでは理解できていないかもしれない。しかし、小説などは、読み手の数だけ感想があっていいのだと思う。それが正解、不正解などとは誰にもいえない。

ということで、以上が、この小説を読んでいる途中、そして読み終えた後に自分が感じたことである。

☆☆☆☆★
残念ながら勧めてくれた方のように落涙には至らなかったので☆四つ(笑)
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いつか見た風景

「悼む」という言葉は人によって感じ方が違うかもしれませんね
人の死はその人がどのように関わったかで受け止め方がさまざまだと思います

「千の風になって」の歌が流行った時にも、
誰のお墓を想像したかによって受け止め方が違っていましたね

人間の記憶の容量に限りがあるのは
悲しみに心が潰されないように自己防衛が働いている為かもしれないと思った事があります

以前は哀しい物語を好んでいたのですが
最近は歳をとったせいかハッピーエンドの物語ばかり好むようになりましたよ(笑)

by いつか見た風景 (2011-06-16 21:15) 

tora

いつかさん、

>人間の記憶の容量に限りがあるのは悲しみに心が潰されないように
>自己防衛が働いている為かもしれないと思った事があります

なるほど、そうかもしれません。
ずっと、思い続けていると、なかなか前に進めないものです。
忘却も悪いことではないということですね。

私もハッピーエンドが好きなのですが、年に数回、どよ~んとなる小説
などを読んで、とことん落ち込みたくなる時があります(^^;

落ち込むだけ落ち込んだら後はあがるだけですからね~(笑)

by tora (2011-06-17 07:13) 

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