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ちょっと鼻についてきたな。 [日記]

自民党。

安倍政権。

発足当初、大陸や半島の国々に対しての態度は、大半の国民の支持を得ていたと思う。

しかし、ここに来て安保法制云々の一件における対応が、少しごり押しっぽく見えて、鼻についてきた。

自らが招聘した参考人に「違憲である」と言われ、「合憲だという学者も大勢いる」とか、あくまで根拠を示さず、「合憲だ」と主張。

これじゃ、民意も離れていくわ。

どこかの市長さんと同じ。

ちなみに憲法とは、国家権力から国民の基本的人権を守るためのもの、と僕は思っている。

したがって、憲法を時の権力者が勝手に都合よく解釈して、合憲だと言い張ること自体ありえない話だと考える。

違憲だからこそ、憲法改正の論議があるのであって、合憲なら憲法改正する必要もないんじゃないのか?

もちろん、頭の中がお花畑の人たちみたいに、争いごとはなんでも話し合いで解決できると考えるほど、僕はお人よしではない。

自衛隊は必要だと思っている。

それは第三国に行って戦闘に参加するのではなく、自国を守るための抑止力としての軍隊という意味である。

たとえば夜道を歩いていて、暴漢に襲われた場合に反撃する、あるいは体を鍛えて、暴漢を寄せ付けないようにする。

私に手を出したら最後、後悔するまでとことん追い詰めるよ、あるいはそういう雰囲気を醸し出すということだ。(僕の辞書に過剰防衛はない)だから、手をださないようにね!

そういうことだと考えている。


以前にも紹介したかもしれないが、内田樹氏の著書「おじさん的思考」の一節。
まさしく自分の思いをまとめていただいたような錯覚に陥りそうな文である。


“自衛のためであれ、暴力はできるだけ発動したくない、発動した場合でもできるだけ限定的なものにとどめたい。国民のほとんど全員はそう考えている。これを「矛盾している」とか「正統性が認められていない」と文句をいう人は法律の趣旨だけでなく、おそらく「武」というものの本質を知らない人である。”


“武力は、「それは汚れたものであるから、決して使ってはいけない」という封印とともにある。それが武の本来的なあり方である。「封印されてある」ことのうちに「武」の本質は存するのである。「大義名分つきで堂々と使える武力」などというものは老子の定義に照らせば「武力」ではない。ただの「暴力」である。”


“憲法九条のリアリティは自衛隊に支えられており、自衛隊の正統性は憲法九条の「封印」によって担保されている。憲法九条と自衛隊がリアルに拮抗している限り、日本は世界でも例外的に安全な国でいられると私は信じている。”


中之島

Fujifilm X10


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