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誉田哲也著 「武士道ジェネレーション」 [書評]

誉田哲也さんの武士道シリーズがついに終わりを迎えた。

「武士道シックスティーン」に始まり、「セブンティーン」「エイティーン」と繋がり、本作「ジェネレーション」で締めとなるようだ。

正直言って最初はあまり意識していなかったが、なにかの雑誌かでこの本のことを取り上げられていて、面白そうだから読んでみようか、と思ったのがきっかけだったような気がする。
しかし、それもはっきりと言えるわけではない。

当初は文庫本を買った。(後に電子書籍へと移行)

「シックスティーン」の時は、レジに本を持っていくのが恥ずかしく感じた。
(うちらの世代のひとは「セブンティーン」という雑誌をご存知だろうと思う。うちの深層心理であのイメージが浮かんでしまったのである)

しかし、次作からはすでに内容がどんなものか理解できていたこともあり堂々と買えた(笑)

そして、とにかく面白かった。

単なる女高生のきゃっきゃっとした話ではなく、なかなか、武士道、いや武道についてポイントを突いているところが多々あると思う。

さて、本作、「武士道ジェネレーション」であるが、amazonのレビューでは「歴史観論争を持ち込むな」とか書かれているものもあり、それだけでこの小説の評価を下げているレビューアーの方もいらっしゃる。

歴史観論争とは南京大虐殺、従軍慰安婦問題などであるが、誉田氏の立ち居地はおそらく自分のそれに近い。事実はともかく、率直にいうと、南京大虐殺の人数、従軍慰安婦に関して、デマがまかり通っているという点である。

だから、僕はどちらかというと違和感なく、自然に読めた。そこまで目くじらたてなくても、と思う。

いずれにせよ、この歴史観論争云々というのは、本当の武士道(武道の心構え)を言わせるための伏線部分であるので、それほど神経質になることはない。

要するに作者が言いたかったこととは、

“人が何かを守ろうとするとき、必ず必要となるのは、力だ。圧倒的な力。それでいて暴走しない、抑制的な、禁欲的な、どこまでも制御され、研ぎ澄まされた、力だ。”

“そもそも剣は暴力だ。他人を傷つけ、死に至らしめる。そういう力だ。しかし、その暴力を封じようとしたら、それを上回る力が必要なんだ。その暴力を凌駕する力を以て、相手を傷つけることなく、暴力のみを封ずる。それこそが武道だと私は信じている。”

という点ではなかろうか?


旧居留地

神戸 旧居留地 SONY RX100m4

以前、内田樹氏の著書「おじさん的思考」から抜粋した文章を紹介したことがある。

“自衛のためであれ、暴力はできるだけ発動したくない、発動した場合でもできるだけ限定的なものにとどめたい。国民のほとんど全員はそう考えている。これを「矛盾している」とか「正統性が認められていない」と文句をいう人は法律の趣旨だけでなく、おそらく「武」というものの本質を知らない人である”


“武力は、「それは汚れたものであるから、決して使ってはいけない」という封印とともにある。それが武の本来的なあり方である。「封印されてある」ことのうちに「武」の本質は存するのである。「大義名分つきで堂々と使える武力」などというものは老子の定義に照らせば「武力」ではない。ただの「暴力」である。”


“憲法九条のリアリティは自衛隊に支えられており、自衛隊の正統性は憲法九条の「封印」によって担保されている。憲法九条と自衛隊がリアルに拮抗している限り、日本は世界でも例外的に安全な国でいられると私は信じている。”

異論はあるだろうが、一見、青春もののように見える、この「武士道シリーズ」であるが、なかなかどうして、「武」の本質をわかりやすく書いている小説だ。

なんだ、結局は暴力なんじゃない、と思われる方は、磯山香織と吉野先生の稽古のシーンをぜひ読んでもらいたいと思います。
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