鏑木蓮氏逝く。 [日記]
令和5年2月26日(日)
気が付けば、令和5年もはや2月末である。
会社帰りに自宅ポストに溜まっていたDM類を全部取り出したところ、1枚のはがきが混ざってた。
大学の同期生である友人の訃報だった。差出人は奥様。令和5年1月11日、享年61歳。
wikipediaによると、多臓器不全とのこと。
毎年、年賀状のやりとりが卒業後(互いの喪中を除き)ずっと続いていて、今年は届かなかったなとは思っていたのだが・・・。
彼は長い下積み時代を経て、40歳前後に江戸川乱歩賞を受賞。
長年の夢だった(と思う)小説家の仲間入りを果たした。
彼の卒論は「江戸川乱歩論」、氏の小説がきっと好きだったんだろうな~。
だから、受賞した時はすごくうれしかったんだろうと簡単に想像できた。
もう、ちょっと昔になるけれど、会社近所のビルにおいて、彼の講演会が開催された際、時間があればとのお誘いを受けたが、仕事の都合で行けなかった。
いつでも会えると思う人こそ、いつまでも会えるとは限らないんだな、と思う。
鏑木蓮氏こと石田和夫くんのご冥福をお祈りいたします。
気が付けば、令和5年もはや2月末である。
会社帰りに自宅ポストに溜まっていたDM類を全部取り出したところ、1枚のはがきが混ざってた。
大学の同期生である友人の訃報だった。差出人は奥様。令和5年1月11日、享年61歳。
wikipediaによると、多臓器不全とのこと。
毎年、年賀状のやりとりが卒業後(互いの喪中を除き)ずっと続いていて、今年は届かなかったなとは思っていたのだが・・・。
彼は長い下積み時代を経て、40歳前後に江戸川乱歩賞を受賞。
長年の夢だった(と思う)小説家の仲間入りを果たした。
彼の卒論は「江戸川乱歩論」、氏の小説がきっと好きだったんだろうな~。
だから、受賞した時はすごくうれしかったんだろうと簡単に想像できた。
もう、ちょっと昔になるけれど、会社近所のビルにおいて、彼の講演会が開催された際、時間があればとのお誘いを受けたが、仕事の都合で行けなかった。
いつでも会えると思う人こそ、いつまでも会えるとは限らないんだな、と思う。
鏑木蓮氏こと石田和夫くんのご冥福をお祈りいたします。
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